読書貯金はじめました。

読書貯金とは私の造語です。本を要約・評価しつつ記事にして、読み返して智慧になるような記事を書いていきたいと思います。

「正義の喪失―反時代的考察/長谷川三千子」をAmazon読み放題サービスで読んでみました。

はじめまして。
KISOと申します。
本日は。長谷川三千子さんの「正義の喪失―反時代的考察」についてご紹介いたします。

 

Amazonの著者紹介によると、

 

長谷川/三千子
昭和21年、東京都生まれ。昭和44年、東京大学文学部哲学科卒業。昭和50年、同大学大学院博士課程修了。埼玉大学助教授を経て、現在、同大教授。専攻は哲学。平成9年度、和辻哲郎文化賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

と、紹介されています。

 

和辻哲郎文化賞を受賞されているということは、第三者的に哲学者として非常に高く評価されているということの証拠ですね。

 

哲学者の少ない日本で、日本で哲学が発展していくということは多くの人間の精神的な成長の貢献できるということでもありますから、とても喜ばしいことです。

 

ちなみに、和辻哲郎は「風土 人間学的考察」で有名な哲学者の方です。

 

ご興味のある方は、こちらも呼んでみると良いかもしれません。

風土?人間学的考察 (岩波文庫)

風土?人間学的考察 (岩波文庫)

 


ちなみに、長谷川三千子さんの「正義の喪失―反時代的考察」の評価は、Amazonでは次のようになっています。

 

2018/11/9現在★★★★☆(6レビュー)。

 

それでは、本書の内容に触れていきましょう。

 

こちらの内容としましては、

 

第一章が”正義の喪失”というテーマになっています。

 

そして、そのほかの章が正義というテーマからはずれない範囲で、違ったテーマを取り扱って議論が繰り広げられていきます。

 

また、これはいくつかの論文集のようなものとなっていまして、どの章から読んでも理解することが出来ると思います。

 

”正義の喪失”の各論としましては、”正義と戦争”について触れています。

 

「およそすべての戦争は『正義の戦争』である。自らの主張を『正義』として掲げ。その正義を実現するために戦ふ、という意味において、すべての戦争と呼びうる限りのものはすべて『正義の戦争』である」

 

と、一番最初に述べられています。

 

確かに、言っていることは至極当然のことでしょう。

 

皆が己の正当性を信じながら行動しているのですから、そこに疑いの余地を挟むこと事態がナンセンス。

 

己の行動を否定する時点で、そもそも行動するべきではないのでしょう。

 

ですが、それは戦争における正義の話です。

 

”正義の喪失”とは何なのでしょうか。

 

もう少し先の内容を読み解いていきましょう。

 

続いての各論は、”勝者の正義”です。

 

”正義の戦争”のその後の話ですね。


「ここから、ある必然的な帰結が生じる。すなはち、戦争という力と力のぶつかり合ひに勝つた者が『正義』を手に入れ、それに破れた者は、『正義』を失ふ、ということである」

 

要するに、勝てば官軍、負ければ賊軍というやつでしょう。

 

勝った者にこそ正義があるという暴力的な法則です。

 

弱肉強食という野蛮なルールが適応されるのは、いつの時代だって戦争です。

 

ですが、そこに大きな問題があるわけではありません。

 

「問題は、人々の掲げる正義が一致しないことにあるのではない。喰い違った『正義』と『正義』とがどうして避け難くぶつかりあひ、戦ひあつてしまふことになるのか?――そこが問題なのである」

 

と、言っています。

 

そして、

 

「『正義』とは、まづ何であるよりも『不正の処罰』といふことである。或る西洋のほう哲学者がいみじくも言ふ通り、『もし不正が存在しないなら、正義の観念も無意味なものとならざるをえない』すなはち、『なされてしまった不正は償はれなければならず、いま現に在る不正とはとりのぞかれなければならない』といふ、その脅迫観念を名付けて、彼らは『正義』と呼ぶのである」

 

とも言っています。

 

ああ、この考え方に基づけば、それはもう「正義」と「正義」がぶつかり合うという現象は避けられない現象でしょう。

 

人間のあらゆる”個性”を廃することが出来るのであれば、このような衝突というものが起きることはないのでしょうけども、今の社会では不可能に近いでしょう。

 

そして、人間にはそもそもの話として欲求というものがあります。

 

しかも、その欲求というものは、いついかなる時、誰しもが同じ欲求を抱けるものではありません。

 

であれば、その欲求の食い違いというものは必ず起きます。

 

しかし、良くも悪くも人間が自由な欲求を抱くために、経済は発展しますし、便利な世の中だって形成されるわけです。

 

であるから、この「正義」と「正義」のぶつかり合いというものが必ずしも「悪」ということでもありません。

 

もっとも、「正義」はスクラップ&ビルドで生産性のある概念であって、怠惰なことにこそ「悪」が存在しているという考え方に基づいているのですが……。

 

私個人としましては、この創造的で破壊的な行いを「正義」ということには些か倫理に反するようにも感じられます。

 

道徳や倫理に反することにこそ「悪」が存在して、鑑みないで道徳や倫理を守ることに「正義」があるようにも感じられます。

 

それでは、本日はここまでとなります。

 

また、次回の記事でお会いしましょう。