読書貯金はじめました。

読書貯金とは私の造語です。本を要約・評価しつつ記事にして、読み返して智慧になるような記事を書いていきたいと思います。

「悪の力/姜尚中」を普通に読んでみました。

はじめまして。
KISOと申します。
本日は、姜尚中さんの「悪の力」という本についてご紹介いたします。

Amazonの著者紹介では少々物足りないので、

コトバンクから紹介文を引用させていただきます。

 

姜尚中 カン-サンジュン

1950- 昭和後期-平成時代の政治学者。
昭和25年8月12日生まれ。在日韓国人二世。大学時代,日本での通名・永野鉄男を捨て本名を名乗る。ドイツのエアランゲン大留学後,国際基督教大助教授などをへて,平成10年東大助教授,16年同教授。22年東大情報学環現代韓国研究センターセンター長。25年聖学院大教授,同年同大学長に選任される(26年就任予定)。国際政治や民族問題に積極的に発言する。熊本県出身。早大卒。著作に自伝「在日」,「オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判」「日朝関係の克服―なぜ国交正常化交渉が必要なのか」「悩む力」など。

 

と、紹介されています。

 

なるほど、経歴は素晴らしくも難しいものですね。

 

真っ直ぐな人生を歩んできたというには、言い難いのもです。


また彼の書いたこの本はAmazon上ではこのような評価となっております。

2018/10/27現在 ★★★☆☆(21レビュー。実際は★3.5) 。


それでは、早速本書に対する所感を述べていきたいと思います。

 

以前、私が書いた記事でも”悪”に触れたものがありましたが、こちらは前回のような哲学的アプローチではなく事実に基づいたアプローチ内容となっています。

 

また、度々引用される文章が聖書の内容であったり、小説の内容であったりするので、文学に慣れ親しんでいる人であれば非常に読みやすい内容になっていると思われます。

 

ここで直接的な表現は避けますが、聞けば誰しもが「ああ、あの事件のことか」と言えるぐらいに有名な事件をいくつも引用し、そこから”悪”とは何かということについて触れています。

 

ちなみに、以前の悪の記事はこちらになりますので合わせてご覧ください。

books-news.hatenablog.com

 

それでは、改めて内容について触れていきたいと思います。

 

まず、著者は必ずしも”悪”を否定しているわけではなく、”悪”という存在については認めつつ、世間一般に存在している”悪”とどのように向き合っていけば良いのかよいうことについて考えています。

 

一番最初に述べていることは次の文章になります。

 

「わかってきたのは、『こいつだけは許せない』という感情の芽生えは、人間性を深め、人と人とのつながりを回復するチャンスなのだ、ということです。なぜなら、そうしたねがてぃぶな感情の裏には、自らの内側に芽生えた『憎悪』のエネルギーを、他の人間にも共感・理解してもらいたい、人と繋がりたいという切なる願いがあるからです」

 

と、述べています。


ここからでは、まだあまり多くは読み取れませんね。

 

ですが、ここで言えることは”悪”は必ずしも人間としての道を存在ではなく、人間として当たり前の感情が引き金となって、当然の願いや欲望が生まれた結果として”悪”という状態になると言っているように感じられます。

 

では、もう少し読み取れる内容の文章に触れてみましょう。

 

”悪の喜び”という章タイトルにて、

 

「人によっては、一度は死にたいと思ったことがあるかもしれません。(中略)どうやら、私達のなかに『死の衝動』とでも言いたくなるような破壊衝動が見え隠れするときがあることは否定できません。日常の世界では、それは『シャーデンフロイデ』という言葉で表現出来るかもしれません。『他人の不幸は蜜の味』という意味ですが、『シャーデン』は『傷付ける』、『フロイデ』はベートーベンの『喜びの歌』にあるように『喜び』です。つまり、人を傷つけたり、やっつけたりする喜び。口語訳すれば『ざまあみろ!』です」

 

「人知れずにその掟をやぶったときに、心のどこかで『やった!』と思う。何かを侵犯したという達成感に、快感のようなものを感じてしまうのです」

 

「人間が善をなすのは具体的な習慣、実践的な行為を通じてです。そしてこの具体的な習慣とは生きる術のことです。それは、生きる術を身につけている人間だけが善をなせるという意味です。さらに言えば、その生きる術とは、人間の奥深くにある死の衝動を少しずつ飼いならし、コントロールする作業でもあります」

 

「個人であれ、国であれ、存在そのものが不安な虚無に取り憑かれた時に、想像を絶するような破壊行動がそこに出現するのです」

 

と、区切り区切りではありますが記述されています。

 

ここでは”悪”という存在の考えがかなり具体的に示されていますね。

 

要は、”悪”の出現に関しては人間の感情的な部分が大きく関係しているわけで、そこには嫉妬でも憎悪でも、何かしらの対象に向けられる主観的な感情があるものです。

 

そして、そのような感情を抱くことは決して稀なことではなくありふれているものです。

 

それ自体は決して問題ではありません。

 

ただし、その感情はコントロールできるように日々の生活の上で飼いならしていくものです。

 

そして、破壊衝動に支配されて実際に行動に移すということには至らないことが一般的です。

 

ですが、その感情を飼い慣らすためにも条件が必要であり、そこには世間一般の習慣や、実践的行為に移すことができてこそ飼いならせるものです。

 

中には、自分の価値観が世間一般から受け入れられなかったり、ちょっと実行に移す機会に恵まれなかったりしたら、感情の行き先を失い満足感というものの与えられない”空虚”な感覚に支配されてしまいます。

 

最終的には、その空虚な感覚が世界との溝に感じられ、自分一人が世界から取り残されてしまった感覚に陥ってしまうのです。

 

結果として、自分も世界の一部であるという実感を得るために、道徳や規則を壊し、その壊したという事実で世界の一部であるという感覚を味わうということです。

 

これが”悪の喜び”ということになるのでしょう。

 

著者は最後に、”悪とは”という問題に対して一つの結論を表しています。

 

「悪とは、『空っぽ』の心の中に宿る病気です」

 

確かに、納得の一言ですね。

 

決して、”悪”だからという理由で人間の個体自体を差別したものではない物言いに著者の人間味を感じられます。

 

殺し、盗み、そんなありふれた”悪”の根本には世界から隔絶してしまったと考えてしまう心理があるからなのでしょう。

 

もっと言えば、このようなことを考えてしまうことは、人間には”理性”や”自由”が存在しているからこそ”悪”が生まれてしまうと言えますが……私個人の意見に関しましてはまた別の機会に述べたいと思います。


それでは、本日はここまでとなります。

また、次回の記事でお会いしましょう。

悪の力 (集英社新書)

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