読書貯金はじめました。

読書貯金とは私の造語です。本を要約・評価しつつ記事にして、読み返して智慧になるような記事を書いていきたいと思います。

「悪について/中島義道」を普通に読んでみました。

はじめまして。
KISOと申します。
本日は、中島義道さんの「悪について」という本についてご紹介いたします。

Amazonの著者紹介によると、

中島/義道
1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専攻は時間論、自我論、コミュニケーション論。著書に『カントの時間論』(岩波現代文庫)、『「時間」を哲学する』(講談社現代新書)、『うるさい日本の私』(新潮文庫)、『人生を〈半分〉降りる』(新潮OH!文庫)、『孤独について』(文春新書)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 
と、紹介されています。

見たところ、専門はドイツ観念論……しかもカントが主のようですね。

 

カントと言いますと、以前私は学生時代にカント研究を専門にしている教授の授業を受けたことがあります。

 

哲学の授業を受けたのはそれが初めてだったかもしれません。

 

当時、私は19歳でしたね。

 

初めての哲学の授業はなかなか衝撃的で、目から鱗が落ちるという体験は初めてのことでした。

 

まさに、自分の価値観をガラッと変えられるような不思議な感覚です。

 

そこからでしょうか。

 

少しずつ哲学にのめり込んでいったのは……。

 

ガッツリとのめり込んだきっかけは先の記事で紹介した「百科全書」との出会いでしたが、本物の哲学と接触を果たしたという意味では、カントが初めてかもしれません。

 

ちなみに、先の記事はこちらになります。

books-news.hatenablog.com

 

ちなみに彼の書いたこの本はAmazon上ではこのような評価となっております。

2018/10/24現在 ★★★☆☆(27レビュー。実際は★3.5) 。


それでは、早速本書に対する所感を述べていきたいと思います。

本書は先の著者紹介でも触れたとおり、カントを主に研究している学者の本となっています。

 

そのため、「悪について」と謳ってはいますが、カントの考え方を軸にして「悪とは何か」ということを解明していく内容となっています。

 

まず初めに言っておくと、著者の言う悪とは、世間一般で言う殺人や盗みといったことのことを指すのではないようです。

 

それどころか、一番最初にこのように述べているのです。

 

「人間は、みずからより完全になろうと刻苦精励し、他人の幸福を望み他人に親切にすればするほど、必然的に悪に陥る」

 

なるほど難しいことを言っていますね。

 

正直、第一印象としては何を言っているんだというツッコミを入れたくなるところです。

 

では、これがどのような意味なのか順を追って先に進んでみましょう。

 

次に著者はカントの考え方を用いて、道徳と格律について述べています。

 

「道徳的センスとは(中略)善とは何か、悪とは何かという問を割り切ろうとしないセンスである」

 

「格律とは、各人の主観的な規則、すなわち誰もが持っている生活する上での信条と言っていい(中略)道徳的に善い行いを実現しうるためには、まずもって各人が何らかの格律をもっていることが前提とされる」

 

なるほど、ここで道徳に対する姿勢について述べられ、さらに道徳的善い行いを実現するための前提までが明かされている。

 

要するに、自分の曲がらない価値観を持ちながら考え続ける姿勢を持ちつことが、道徳的に善い行いを実現しうると言っているように感じられます。

 

しかし、ここでもまだ悪に陥るという話には触れていません。

 

先に進んでみましょう。

 

「外形的に善いことをなし、如才なく、弱者を助け、刻苦精励これ努め、約束はきちんと守り、あらゆる法律を守り、そして懸命に穏やかに生き続ける善良な市民こそが悪のモデルなのである。彼(女)が最も悪いのである。外形的に善いことをしながら、内部には巧妙な自己愛の水路が築かれている。その巧みなしたたかさが悪の典型なのである」

 

ようやく、悪とは何かということに触れてきましたね。

 

つまり、定められた規律を守り見本のような振る舞いをする慈悲に溢れた人間であっても、見かけ上の愛の対象が他人でありつつ、本当の愛の対象が自分自身であるという外面と内面の矛盾に悪の形態を見ることが出来るということでしょうか。

 

私には、肉体と精神の矛盾にこそ悪があると言っているように聞こえます。

 

そして、本書の中盤では大まかな結論を出しています。

 

「道徳的人間とは、常に善い行いをする人間のことではない。自分の信念を貫くことが出他人を不幸にするという構造のただ中で、信念をたやすく捨てることも出来ず、とはいえ自分の信念ゆえに、他人を不幸のうちに見捨てることも出来ずに、迷い続け、揺らぎ続ける者のことである」

 

なるほど、善いも悪いもなく、自分の心に嘘を吐かずに生き続け、己の信念のために考え続けることのできる人間こそ道徳的な人間ということでしょうか。

 

そして、そこで自分自身に嘘を吐き、自分の理性を捻じ曲げるような行いをすることこそが悪だということでしょう。

 

しかも、人間の本能自体には善いも悪いもないのであれば、やはり理性を持っているからこそ、そこに人間の悪の根源が秘められているという意味にも捉えられます。

 

一見すると、理性を持っているからこそ人間には救いがないようにも聞こえますが、著者は一方でこの人間の特性を良い意味で締めくくっています。

 

「根本悪のもとにあるからこそ、われわれは道徳的でありえるのだ。根本悪の絶大な引力を知っているからこそ、われわれは最高善を求めるのだ。われわれはには絶対的に『正しい』解答が与えられないと知っているからこそ、それを求め続けるのである」


それでは、本日はここまでとなります。

また、次回の記事でお会いしましょう。

悪について (岩波新書)

悪について (岩波新書)