読書貯金はじめました。

読書貯金とは私の造語です。本を要約・評価しつつ記事にして、読み返して智慧になるような記事を書いていきたいと思います。

「芸術の体系/アラン(訳:長谷川宏)」をAmazon読み放題サービスで読んでみました。

はじめまして。
KISOと申します。
本日は、アランの「芸術の体系」という本についてご紹介いたします。


Amazonの著者紹介によると、

 

アラン
1868‐1951。フランスの思想家。フランス各地の公立高等中学校で教師生活を送るかたわら、執筆活動を続ける。1903年、新聞で「プロポ」と題する短文の連載を始め、その後、この短文形式がアランの自由で柔軟な思想を表現する最適な形となった。1914年、46歳で第一次世界大戦に志願兵として従軍し、苛酷な戦場で『芸術の体系』を書く。1951年5月、文学国民大賞を受賞。同年6月、パリ西郊ヴェジネの自宅で死去 

長谷川/宏
1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 
と、紹介されています。

 

また彼の書いたこの本はAmazon上ではこのような評価となっております。

2018/10/4現在 ★★★★☆(3レビュー) 。

 

近年、アランと言いますと、「幸福論」の方が多く書店で見かけることがあります。

 

恐らく、そちらの本でご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

先の著者紹介でお分かりの通り、アランはフランス人です。

 

これは、私の偏見かもしれませんが、フランス人ほど芸術的なセンスを持っている人種は他に居ないのではないでしょうか。

 

初めてノーベル文学賞を受賞した方は、フランスのシュリ・プリュドムという方ですし、ノーベル文学賞受賞者の数で見てもフランス人がもっとも多かったような気がします。

 

いや、ちょっと確認不足でそこは少し自信がありませんが……。

 

しかし、文学や哲学という点において、フランス人で著名な方が多いのは明らかなことでしょう。

 

哲学で言えば、デカルトがいますし、文学ではサルトルだっています。

 

挙げれば切りが無いので、私にとって特に印象に残っている二人を挙げてみました。

 

何はともあれ、文学や哲学の発達しているフランス人であるアランの書く本ということは、それはさぞかし優れた書物なのでしょう。

 

期待が膨らみます。

 

ちなみにアランの本名は、エミール=オーギュスト・シャルティエと言います。

 

ザ・フランス人らしい名前ですね。


それでは、早速本書に対する所感を述べていきたいと思います。

まず、この本はそれこそありとあらゆる芸術に関して、一つひとつ項目を分けてそれぞれについて論じていくタイプの本となっています。

 

音楽であったり、ダンスであったり、または建築、絵画、彫刻、散文、そして芸術に対する創造的想像力などに関して触れています。

 

ですから、この本はどこから読んだら良いだとかそういった決まりは特にないように思えます。

 

自分の興味のある項目から自由に読み、自由に感じ取って、自由に理解をするのがベストな読み方となる本なのではないでしょうか。

 

ですから、興味の沸かない項目を読んでも面白くはないかもしれません。

 

もっとも、私は一度でも読まないと評価する資格がないと思っている質ですから、興味の沸かない項目も頑張って読みました。

 

一方で、興味の湧いた項目は「散文」という箇所でした。

 

趣味が小説を書くということですから、大変集中して読むことができました。

 

その中でも、特に記憶に残った文章は次の箇所になります。

 

「単語の本当の力は、置かれた一と他の単語とのつながりから生じてきる。が、ここにも技工が忍び込んでくる。振るうの話し方や書き方に逆らって、読者の予想外の場所に一つの単語を置けば、それが強調の技法となるのは明らかだ。どれも取ってもちっぽけな手法ではある。散文の純粋状態といったものを考えれば、読者の注意力が要素に背を向けて、つねに全体へと向かうようにするのが散文だ。普通の単語と常用の構文こそが散文芸術の素材であり、目的は、つねに、単語の連なりによって思考と呼ばれるものを形成することにある。ここに思考というのは、原因と結果、手段と目的、実態と偶有性といった、論理学が普遍文法にそって体系的に提示する、抽象的説明的な関係のことだ」

 

少々長い文章にはなりますが、ここに文章の書き手・語り手として求められている核が詰め込まれているのではないでしょうか。

 

特に、「目的は、つねに、単語の連なりによって思考と呼ばれるものを形成することにある。」という主張は非常に完成度の高い主張だと思われます。

 

何かしらの主義主張を持たれる方ならば、この考え方は念頭に置かれた方が絶対に良いと思われます。

 

意識して文章を書く、意識して言葉を話す、できないことではありませんが、意識レベルというものは意外と難しいものです。

 

なぜならば、どのように意識したら良いのか自分でも分からないで、とにかく一生懸命に、感覚的に、書いたり話したりしようとすることが多いからです。

 

人間は理性を伴い感情で決断を下す生き物であるのですから、仕方ないことなのかもしれませんが……。

 

結果として、相手に意図した内容が伝わらないことはよくあります。

 

ですから、先の考え方を念頭に置きながら書いては話すことが必要だと私は思いますし、アランに共感することが出来ます。

 

他にも、

 

「物語作者の芸術は、読者が短期間、登場人物をこの目で見ていると思うように、人物たちを生かすことにある。おそらく、すべての幻像をうまくつなぎあわせて、ある種の対象を作り出すことにその中心がある」

 

「感情は行動から生まれつつ、対象を求めるものであるから、ここにも散文の法則だ――迂回と快気ののちにすべてが同時に現出しなければならない、という法則が――登場する。詩のリズムはまさしくこうした運動に対立する」

 

等など、触れてたい箇所は他にもありますが、触れすぎても長ったらしい記事になってしまうので、ここまでにしたいと思います。

 

また、アランに触れる機会があれば、またここから考え方を引き出したいと思います。


それでは、本日はここまでとなります。

また、次回の記事でお会いしましょう。

 

芸術の体系 (光文社古典新訳文庫)

芸術の体系 (光文社古典新訳文庫)