「堕落論/坂口安吾」を青空文庫で読んでみました。
はじめまして。
KISOと申します。
本日は、坂口安吾の「堕落論」という本についてご紹介いたします。
Amazonの著者紹介によると、
1909年、新潟県生まれ。1946年に発表した「堕落論」が大きな反響を呼び、続く「白痴」によって、太宰治、織田作之助らと共に新文学の旗手として、戦後世相に大きな影響を与える。1955年、脳出血のため49歳で死亡。
と、紹介されています。
また彼の書いたこの本はAmazon上ではこのような評価となっております。
2018/9/28現在 ★★★★☆(94レビュー) 。
青空文庫で読める本の中でも屈指の高評価なのではないでしょうか。
実のところを申しますと、私は昔から坂口安吾が大好きで高校生時代からずっと読み漁っていたものでした。
なんと言いますか、彼の独特の考え方が私の考えと非常に似通ってると言いますか、共感・理解できる箇所が非常に多いと感じられます。
まあ、彼の思想に関しては好き嫌いが分かれるところだとは思いますで一概に良い思想と言うことは出来ないのですが……。
それでは、早速本書に対する所感を述べていきたいと思います。
まず、著者が伝えたいメッセージは以下の文章に集約されていると考えられます。
「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの暖をとっており、同じ火に必死に消化につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、そのの驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない」
「人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可能な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ」
「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」
この考え方こそ、敗戦という経験を通した上で得られた日本的な独自の考え方だと思われます。
堕落とはつまり、ありとあらゆる制限が壊され無くされ、その境目が見えなくなった瞬間、自分の力で境目を作り制限を設けていくことの誕生だと言っているような気がするのです。
世間一般ではありとあらゆる規制が設けられています。
アレをやってはいけない。
コレをしなくれはいけない。
ですが、多かれ少なかれ規制に基づいた常識にそぐわなかったら、その常識から離れて赤子のように何も分からない白痴の状態に帰る時、自分の心の奥底から求めてやまない欲求が生まれるのだと思います。
何か分からず満足できないのであれば、現状を壊し尽くして真っさらな状態にしてみることが、真理を見つけることに必要なことなのではないでしょうか。
私自身、未だに若輩の身ではありますが、10代・20代の方々は特に人生に悩むことの多い人生の旅路なのではないでしょうか。
ですから、迷ったら壊してみる。
壊してみたら、そこから見つけてみる。
それが、本当の自分を見つける鍵となるのだと思います。
勿論、何においても「壊す」ということはとても強い意味合いを持っています。
学校であれば、退学してみる。
会社であれば、退職してみる。
当然、規律に守られた組織から抜け出すということは、自分が丸裸の状態になって誰からも守られない状態になるということなのですから。
もっとも、命よりも大切な家族、かけがえのない親友、愛すべき恋人などがいる場合は、そういった依存先に助けてもらいながら既存の枠組みを壊してみることが現実的なのではないかと思います。
私自身、サラリーマンとして働いていますが、一度は転職している身です。
その際には、家族に助けてもらいながら無職期間を味わい、自分の求めてやまないことのために歩みを進めたものです。
しかし、何も奇を衒ったことをしろと言っているわけではありません。
いたずらに現状を壊すのではなく、当惑を断ち切るために現状を壊すのです。
壊して、白紙に新しく希望を書き込むことが堕落した後の生き方なのではないでしょうか。
個人的な所感や考えが入り混じってしまいますが、私はこのように考えます。
ちなみに、この「堕落論」になりますが、坂口安吾が別に執筆した「白痴」という小説を読むとより分かりやすく考えを理解できると思います。
こちらは随想となっておりますので、十分に読みやすいとは思いますが、活字に慣れていない方には少し疲れるかもしれません。
一方で、「白痴」であれば短編のライトノベルを読む感覚で読めるので、もしかしたらこちらの方が良いのかもしれません。
それでは、本日はここまでとなります。
また、次回の記事でお会いしましょう。